ハート/ネグリの『帝国』を読む

本書の構成(序-2)


このように米国における帝国の成熟などといわれると、帝国とは比喩ではないかと考えたくなるが、著者はこれは決して比喩ではなく、概念だと強調している。比喩として使うはあには、ローマや中国の帝国との比較が必要になるが、概念として使うことで、理論的なアプローチで十分だと指摘する。

帝国の概念としてはすでにデュベルジェの研究があるが(Maurice Duverger, Le concpet d'empire, Paris, PUF, 1980)、デュベルジェは歴史的な実例に基づいて、ローマ型の帝国と中国型の帝国に分類している。ハート/ネグリがこの書物で取り上げるのはローマ型の帝国だ。ヨーロッパとアメリカ世界を現在の世界秩序に導いたのは、もちろんローマ型の帝国だからだ。

帝国の概念にはいくつかの特徴がある。まず第一の特徴は、空間的な全体性である。帝国には国境がない。帝国の役割には限界というものがないのである。地球の文明化された世界の全体を支配する。領土的な境というもので、帝国の支配が制約されることはない。

第二の特徴は時間的な全体性である。帝国の支配は、歴史上のある時点における支配ではなく、歴史の終焉における支配だ。帝国は歴史を超越し、既存の秩序を永遠に固定しようとする。帝国には時間的な境というものもないのである。

第三の特徴は、社会的な全体性である。帝国は領土と住民を支配するだけでなく、人々がすむべき世界を作り出す。人間の相互作用を統御しようとするだけでなく、社会的な世界の最深部にいたるまで、すべての秩序において支配し、人間性そのものを制御しようとする。この制御の目的は、社会的な生命を永続させることにある。だから帝国は、模範的な生・権力となる。

第四の特徴は、帝国の実践はつねに血なまぐさいものだが、帝国そのものはつねに平和を目指すということである。歴史のでの普遍的で永続する平和を目的とする。

この平和を目指す帝国は、逆説的なことに巨大な抑圧と破壊の権力である。しかし著者はそのために以前の秩序にノスタルジーを抱くべきではないと指摘する。著者は、これは後戻りできないものだし、帝国への移行とグローバリゼーションのプロセスによって、新しい解放の力が生まれる可能性があると考えるからだ。

だからハート/ネグリは現代の政治的な課題は、たんにグローバリゼーションのプロセスに抵抗するのではなく、これを再編成し、新しい目的に向けて推進することだと考えるわけだ。帝国を構成する大衆(multitude)の創造的な力は、自立した運動によって、反・帝国を作り出す能力がある。これは帝国と同じように、地球的な交換を実行する代替政治組織である。

このように帝国に抵抗し、帝国を覆そうとする闘争も、帝国の領土そのもので行われるのであり、すでにこうした新しい闘争が姿をみせているのである。著者が期待をかける「大衆」というものがどういうものか、まだ明確ではないが、大衆はこうした闘争を通じて、新しい民主的な形式を発明する必要があり、新しい構成的な(constituent)な権力を作り出す必要があるという。それがいつか帝国を通じて、帝国を越えるところに導くはずだと。

さて著者はやや唐突に新しい権力の「発明」のテーマまで到達するが、これは少し結論を先取りしたようなところがある。ほんとうはこの書物の第四部「帝国の衰退と崩壊」でとりあげられるべき問題だからだ。それまでにまだ長い道程がある。第一部「現在の政治的な構成」では、世界秩序としての帝国の現状を検討してから、フーコーの生・政治学の概念を取り上げる。

第二部の「主権の変遷」では、主として思想史と文化史的な観点から、国民国家の形成、帝国主義、そして帝国の誕生までの帝国の系譜学が試みられる。近代初期から現代までの国家と権力の系譜学的な考察が、主権の概念をアリアドネの糸として行われる。第三部の「生産の変遷」では、おなじ時期を、生産という視点から考察する。この生産とはごく広い意味でとられており、経済的な生産だけでなく、主観性と主体の生成にまで及ぶので注意が必要だ。また一九世紀末から時代までの資本主義的な生産に重点がおかれる。

このように著者は学際的なアプローチを採用しているが、このアプローチをとるにあたっては、マルクスの『資本論』とドゥルーズ/ガタリの『千のプラトー』が参考になったという。考察の対象となるのはヨーロッパおよび欧米だ。ただし欧米だけで新しい概念が生まれ、歴史的な革新が行われたと考えるからではなく、現在の帝国を活気づけている概念や実践が展開されてきた主要な地理的な地域だからだし、主要な資本主義の生産活動が行われている地域でもあるからだ。

このように系譜学的な考察では、ヨーロッパが中心になるが、現在の帝国の権力はヨーロッパに限られない。帝国は地球全体にわたって支配している。そして帝国に異議を申し立て、これに代わる地球の秩序を模索する力は、地理的な地域に制限されてはならないだろう。この登場しつつある新しい権力の地図は、「大衆の抵抗、闘争、欲望によって、現在書かれつつある」(xvi)。これが第四部の中心的なテーマだ。

著者は最後に、この書物を湾岸戦争のあとに書き始め、コソボの内戦の前に書き終えたという。この二つの戦争は、帝国の構成を示す二つのシグナルなのだ。さて次回は第一部の最初の章を読んでみよう。