忘却と記憶--リクールの新著にふれて

(中山 元)

 

■忘却と記憶
12月の8日は「開戦記念日」で、さまざまな催しが開かれましたね。その中でも二つの催しに注目しました。女性国際戦犯法廷とリクールの京都賞の受賞講演です。

朝日新聞の報道によると、女性国際戦犯法廷は、日本のNGO
「戦争と女性への暴力・日本ネットワーク」(VAWW-NETジャパン)が呼び掛けて開催されたもので、このNGOのサイトで、このネットワークの憲章などを読むことができます。プレス・リリースでは、それぞれの日の証言が簡単に紹介されています。
http://www.jca.apc.org/vaww-net-japan/

この「法廷」は実際の効力をもつものではなく、「民間法廷」として、当時の国際法に基づいて慰安婦制度の責任者を裁き、日本政府に解決を迫るというものです。首席検事役は国連の旧ユーゴ国際戦犯法廷の法律顧問だったパトリシア・セラーズさんで、昭和天皇、東条首相などが「被告」になっています。

この法廷ではアジアからの被害者が次々とみずからの体験を証言し、日本政府の対応を求めました。さらに実際の加害者の側からも、みずからの行為について、なまなましい証言をしています。証人の年齢を考えると、そろそろタイムリミットが近いだけに、日本の政治家や軍人の戦争責任の問題とは別に、こうした人々が証言することは貴重なことだと思います。この法廷は今日までで、正式な「判決」は来年三月に発表されるのだそうです。VAWW-NET ジャパンのサイトでは、証言の映像ファイルが準備されているようです。

証言の意味について、哲学の分野で長い間考察を続けてきたのがリクールでした。リクールは稲盛財団の京都賞の講演では、自分史や世界観などについて語っていたようですが、朝日新聞のインタビューでは、今年の秋に刊行された『記憶・歴史・忘却』を踏まえて、記憶と証言の重要性を強調しています。

リクールは、おそらくニーチェの歴史論を踏まえながら、ホロコーストのような「言語を絶した犯罪」に対しては、三つのアプローチが可能だと語ります。裁判官、歴史家、そして作家としてのアプローチです。このあたりはきっと『記憶・歴史・忘却』のコアの部分だと思うので、少し詳しくリクールの話を聞いてみましょう。

裁判官は、法的に手続きにのっとって、客観的な証拠に基づいて裁きます。しかしこれには限界があります。判決は個人の犯罪だけを裁けるのであり、この犯罪を可能にし、あるいは強制した政治構造や、その背後にある民族全体の責任を問うことはできないからです。許すということが不可能に思えるほどの極限的な犯罪に対しても、既存の量刑を科すことができるだけで、判決がでると、一件落着となってしまいます。

これを補うのが歴史家の仕事です。歴史家はさまざまな説明や理解の方法を採用することで、議論をいつまでも続けることができます。そして歴史像はつねに書き替えられ、共同体としての民族の自覚に影響を与えることができます。さらに作家は、フィクションという方法を用いて、人々の心のうちに、この問題を描き出すことができます。

そしてこれらのすべてのアプローチを支える役割を果たすのが、当事者の証言です。朝日新聞の12月8日の夕刊から引用。「当時その現場にいて、直接体験し、傷ついた人々が語る言葉の前では、沈黙するしかない。われわれはそれを受け止め、記憶することが求められている。最近ホロコーストはなかったという主張が出てきた。生存者はいずれいなくなってしまう。証言をもとにした時代から、書かれた資料をもとにした時代に移りつつある」。

ぼくたちはだれも、当時の日本軍の行為に対しては直接は責任を負わないのですが、父親や祖父の世代の人々が行ってきたことは、知っておき、記憶しておく必要があるのではないでしょうか。アレントは『人間の条件』において、人間のアイデンティティは、歴史として物語られることによって初めて作られるのであり、それは個人についても、国民についてもあてはまると語ったことがあります。

ぼくは『記憶・歴史・忘却』はまだ未読なのですが、リクールもまた『時間と物語』において、そしてこのインタビューで、ほとんど同じことを指摘しています。民族は自らの歴史を一つの物語として語り、伝えることで、共同体としての自覚を獲得するのだと。

なおリクールの京都賞の
講演要旨は次の場所で読めます。
http://www.inamori-f.or.jp/KyotoPrizes/contents_j/laureates/kp_16idx.html
このサイトには、過去の十六回の受賞者の紹介と講演内容が掲載されているので、参考になります。京都賞は 先端技術部門 、基礎科学部門 、精神科学・表現芸術部門 の三つの分野で授与され、哲学の分野ではポパーやクワインなどがすでに受賞していますね。基礎科学部門では、シモーヌのお兄さんのアンドレ・ヴェーユが授賞し、ブルバキ創設の頃について語ったようです。写真をはじめてみました。なるほど(笑)という感じ。

しかしリクールは一九一三年生まれの八七歳、老いてなお矍鑠。この年齢でもまだ思考と表現の営みを続けられると考えられると、勇気づけられます。ぼくなんかまだガキじゃないか(笑)。

■記憶の〈罠〉

リクールの新著『記憶・歴史・忘却』は、リクールがついに偉大な思想家として
登場したことを示すものだと評価が高いですね。フィガロでも書評が掲載されて
いましたが、Nouvel Observateur 1870 のインタビューから、前に掲
載しましたリクールの京都でのインタビューとも深い関係がある記憶と運命につ
いての発言をご紹介しましょう。

ポール・リクールは本当の意味で記憶することを妨げる三つの記憶があると指摘
します。(1)妨げられた記憶、(2)操作された記憶、(3)強制された記憶です。リクー
ルは、個人の記憶と集団の記憶の両方について語っているのですが、個人でも集団
でも、何かを記憶するためには、なにかを忘却する必要があるのですが、なにが
忘却されるかで、その記憶の性質が変わってくるということだとおもいます。

最初の妨げられた記憶とは、フロイト的な意味で、抑圧されたものだといえる
でしょう。あるものを記憶することで、別のなにかが抑圧される。あるいはある
記憶を抑圧したいがために、別のことを記憶する。この抑圧のメカニズムは、フ
ロイトが詳しく分析しました。第二の操作された記憶とは、この抑圧のメカニズ
ムが意図的に外部から行われた場合を指すでしょう。リクールはイデオロギーや
デマゴーグによってと指摘しています。第三の強制された記憶も同じような操作
を意味することも、あるいはその個人や集団に取っての不幸な記憶を意味するこ
ともあるでしょう。

要するに、記憶にも政治学があるということです。リクールはこう言います。
「記憶することは一つの義務です。過去への負債がそれを義務とするのです。し
かし記憶が〈濫用〉されることがあります」。この〈濫用〉、操作された記憶は
個人にとっても、民族にとっても一つの〈罠〉になるのです。

リクールがここで直接に考えているのは、過去の作られた記憶が、新たな殺戮
を生み出しているコソボ、パレスティナ、北アイルランドの事例です。他の集団
が自分の集団に加えた暴力の記憶が、ある政治的な力のうちで新たに作り出され、
操作され、強制的に埋め込まれる。その記憶は、新たな暴力の源泉として利用さ
れる可能性があり、実際に利用されているのです。そしてこうした状況では、こ
の政治的な操作と悪しき記憶のメカニズムをきちんと分析し、批判する作業はと
ても困難になります。記憶が「ショート」している、とリクールはいいます。

この状態から抜け出るのは、困難なことでしょう。リクールはこの記憶の問題
については三つのスタンスがあると指摘していました。裁判官、歴史家、小説家
です。しかしこのインタビューでは、リクールは裁判官、とくに恩赦という制度
にはかなり批判的です。恩赦amnestieとは、法的な次元での忘却をもたらすもの
であり、記憶喪失amnesieにつながる可能性があるからです。これについてはリクー
ルはドイツとフランスを比較して、ドイツが第二次世界大戦後にとってきた姿勢
を賞賛します。フランスはヴィシー政権を傀儡政権としてしか考えず、本当のフラ
ンス政府はロンドンに、別の場所にあったと考えがちです。リクールは「フラン
スはヴィシーにあった」と断言します。

そして歴史家については、ドイツの歴史家のノルテの仕事が有益だったと指摘
します。彼はショアーを忘却しようとしたのではなく、ショアーがまるで非人間
的な出来事として特別扱いされるのを防ごうとしたというのが、リクールの評価
です。ショアーを非人間的なものとみなしてしまうと、いわば思考が「ショート」
してしまって、なにも考えられなくなる。ノルテはこの出来事をファシズムとス
ターリニズムの親近性という視点から考えることで、こうした「ショート」を
克服しようとしたとリクールは指摘します。

リクールが最後に訴えるのは、「ナタリテ」nataliteの思想です。自己と他者の
生の単独性と一回性の思想。このあたりは、かなりアレントに近いですね。
自分が生まれた場所と時代のうちに、自分の根をみること、自分の後で生ま
れてくる世代にすべてをゆだね、後の世代が自分の死をどのように扱い、そ
こからどのようなものを作り出すかを予測し、これを受け入れること、それ
が共同の運命を受け入れるということだと考えるわけです。