スタイナー、サイード、フーコー(椋鳥通信-2)

(中山 元)

■スタイナー、サイード、フーコー

どうも変な取合わせ(笑)。スタイナーは『青髭の城にて』にみられるように、西洋
文明批判を展開していて、フーコーと近い路線にあるとは言えるのですが、どう
もそりが合わなかったようですね。フーコーが『言葉と物』を出版してからしば
らく経った1971年に書評を発表していますね。

New York Times Book Reviewに掲載されたその
書評は、次の場所で読めます。
http://www.nytimes.com/books/00/12/17/specials/foucault-order.html
February 28, 1971
The Mandarin of the Hour-Michel Foucault
By GEORGE STEINER

このスタイナーの批評は、フーコーの西洋文明の分析は簡略化しすぎであり、
専門書を読むと細かなところで疑問があるという、まっとうなというか、
『言葉と物』の魅力を捉えそこねた書評でした。スタイナーにはフランスの
知的なけれん味のようなものが気にいらなかったようです。それにフーコー
のエピステーメーの概念はクーンのパラダイムの概念と似過ぎている
ことも気になったようです。

これに対してフーコーは激しく批判しました。フーコーの文章から引用してみま
しょう。「ここで問題なのは、文字どおり当の書物のことは何も知らずに、身近
なもの、既に知られたこと、ありそうなことの領域から汲み尽くせるだけのもの
をすべて用いて、およそこの書物について想像しうる限り最もありそうにない幻
想を製造することにある」(フーコー「批評の怪物性」大西雅一郎訳、『集成』
四巻p.128)

フーコーはスタイナーについてはほとんど知識がなかったらしいですね。
見当違いの批評だと、かなり手厳しい(笑)。そして二人の議論はほとんどかみ
合っていません。でもこの論争のおかげで、ぼくたちは考古学の概念の由来と
クーンのパラダイムの概念とエピステーメーの概念の関係について、
フーコーの証言を手にすることができました。

まずフーコーは、考古学という概念をフーコーがフロイトから受け継い
だというスタイナーの指摘は正しくないと言い返します。スタイナーはたんにフ
ロイトの考古学という概念を援用してぐらいにしかいっていないのですが、フー
コーは考古学の概念はカント由来のものであることを強調し、その出所を
明示しています。

たしかにぼくたちもフーコーがここでスタイナーに反論しなければ、考古学とい
う概念はフロイトからきたのかなと考えてしまいがち。スタイナーがカントの論
文を読んでいなかったのも、不思議はありません。フーコーは学者なのにカント
も読んでいないのか、けんもほろろ(笑)。

もう一つはクーンの概念について、フーコーは『言葉と物』を書いた時点で、クー
ンを読んでいなかったことを明らかにしています。そしてエピステーメーの概念
が、カンギレーム由来のものであることを指摘します。パラダイムとエピステー
メーの概念の類似性はその後も問題になるところなので、これもスタイナーとの
「論争」のおかげというところがあります。

ところでフーコーの『集成』ですが、日本では現在七巻まで翻訳が進捗していま
す。あと三巻ありますが、日本ではガリマールのDits et Ecritsを全巻翻訳しま
す。日本で抄訳というのは考えようがない(笑)。ところがアメリカではこれを
テーマごとに集めて抄訳しました。編者は有名なラビノー。第一巻の『倫理』と、
第二巻の『美学、方法、認識論』がすでに出版されていましたが、今回第三巻の
『権力』が刊行されました。この三巻で『集成』は翻訳が終了するらしい。
なんせ英語では、『狂気の歴史』も抄訳のままですから(笑)。

この第三巻の『権力』の出版に際して、サイードが先日、同じくNew York Times Book
Reviewに
書評を書きました。
http://www.nytimes.com/books/00/12/17/reviews/001217.17saidlt.html?1215bk
December 17, 2000
Deconstructing the System:
In the final volume of his writings, Foucault explores the nature of power.


ここではサイードは、フーコーがこの書物に集められた文章で、病院や監獄
などを貫く権力作用を「冷静なまなざし」で分析していることを評価します。
とくにサイードが気にいったのは「汚名に塗れた人々の生」という短い文章
のようです。なんだか分かりますね(笑)。

サイードはついでに、1978年にフーコーがコレージュ・ド・フランスで行った
「統治性」についての講義を聞いたときの記憶を物語ります。フーコーはジョー
クもいわず、ひたすら原稿を読み上げるだけだっとか。この講義では司牧者権力
とポリスについて、「後の段階で突き崩すために」その強みを強調しているよう
だったといいます。

サイードは、フーコーの文章がいまでは読者によく理解できなくなっていること
を嘆きます。研究者でないと理解できない文脈があっても、それについて十分な
訳注がなく、そのまま放り出されるのは問題だというわけです。もっと刈り込ん
で、しっかりとした注を付けるべきではなかったかと、サイードは疑問を投げかけ
ます。

このままではフーコーの関心が「啓蒙の逆説」にあったこと、理性による自由
という啓蒙の理念が、理性による支配と自由の剥奪にいたるという逆説にあった
ことを理解できないのではないかと懸念するわけです。「この袋小路こそが
フーコーの仕事の核心である」のにと。このサイードの表現だと、フーコーの
仕事の核心は、スタイナーの立場とかなり似ていますね。

ぼくはフーコーはスタイナーとは違って、それがどのようなメカニズムで発生し
たか、西洋の政治的な理性の系譜のどこに問題があったかというところに踏み込んで
いると思うので、これだけでは少し表現が足りないような印象を受けますが、
ここでサイードは、スタイナーとフーコーの近さを確認しているかのようです。

なお、http://www.nytimes.com/books/first/f/foucault-power.html
で、この『権力』の
最初の章「TRUTH AND JURIDICAL FORMS 」が読めます。
これはブラジルでの長い講演記録の最初の部分ですね。ぼくのとても好きな
講演の一つです。『集成』の五巻に翻訳があります。お暇なおりにでも
読んでみられては。

■「暗き人」スタイナー

レクスプレス誌のスタイナー・インタビュー

さて2001年を迎えて、新しい世紀が始まりましたね。ぼくたちが生きてきた20世
紀という百年間は、戦争に始まって、戦争に終わった時代、地球全体が戦争の激
しい刻印を受けた時代といってもいいでしょう。ぼくたちの使っている多くの技
術は、多かれ少なかれ、戦争の産物といってもいいのです。自動車からコンピュー
タにいたるまで…。

この20世紀を振り返ると、ぼくたちはかなりペシミスティックにならざるを得ま
せん。世界を良きものに作り替えると宣言し、表向きはその目標にむかって邁進
していたはずのロシアのスターリン体制とカンボジアのポルポトのもたらした血
なまぐさい土産は、アウシュビットとともに、ぼくたちの気分をさらに暗くしま
す。この戦争の世紀の後に、どんな「brave new world」がくるというのでしょう
か。

新年から暗い話ですみません。でも新しい時代をむかえるには、それなりの回顧
と準備が必要でしょう。そのためにも今回は暗い人、スタイナーのインタビュー
をご紹介しましょう。必ずしも同意できないところもありますし、最後に科学信
奉に落ち着くのはちょっと(笑)。

もちろん『青髭』で述べられているような「人間の条件」の変化への取り組み
の必要性はぼくたちも共有しているのですが。でもちょっと質問者とともに、
なんのためのペシミズム(笑)といってみたくなるところがありまするです。
でも西洋の文人のひとつの生き方の道筋を示すものとして、興味深く読めます。
前回ご紹介したフーコーとの「論争」のすれちがい加減も、みえてくると思います。

このインタビューは、レクスプレス誌の2000年12月28日号に掲載されました。
質問者はドミニク・シモネ。長くなるので、2回に分けて配信します。
いつものように少し脚色したり、省略したりしていますので、ご注意を。

●20世紀という時代
【問い】わたしたちは20世紀を後にしましたが、この世紀は苦しみにさいなまれ
た世紀でした。過ぎ去った20世紀について、どう考えられますか。
【答え】人間の歴史のうちで、もっとも殺戮的だった世紀ですね。数字はもはや
人間の理解力を超えています。歴史家によると、1914年から1945年の間に、7000
万人がいくさで、収容所で、拷問で、国外追放で、飢饉で亡くなりました。そし
てスターリン体制のもとでは1億人が死んだと噂されています。野蛮はゴビ砂漠に
おいてではなく、モスクワとマドリッドの間で猛威を振るったのです。

【問い】それでは野蛮はヨーロッパの「娘」ということなのでしょうか。
【答え】全体主義のイデオロギー、死のユートピア、ナチズムとスターリニズム
−−それはヨーロッパの歴史の深みに根を下ろしています。キリスト教の時代は、
ラインでの虐殺、十字軍、ユダヤ人の殺戮、アラブ人の殺戮に始まりした。それ
がショアーにつながると断言するのは、あまりに素朴なことでしょう。しかしこ
の瞬間からすでにショアーの殺戮は思考の地平に上っていました。「概念」とし
て可能になっていたのです。それがヨーロッパというものです。お忘れかもしれ
ませんが、ベルギー領コンゴで大殺戮を始めたのはベルギーでした(専門家によ
ると1000万人もの人が殺戮されたといいます)。人種浄化の技術は、レオポルド
二世のもとですでに始まっていたのです。そして未来のポルポトとルワンダが、
このときすでにカレンダーに書き込まれていたのです。この世紀は、人間性にお
ける人間の〈しきい〉を低くした世紀でした。いまではわたしたちは、人間がな
にをなしうるか、はっきれと知っているのです。

【問い】それ以前には知らなかったのでしょうか。
【答え】20世紀の初めに、人々はそのことを理解し始めたといえるでしょう。で
もアウシュヴィッツでなにが起こるかを知っているひとは多くはなかったのです。
人々が夜にシューベルトを歌い、次の朝に人間を拷問にかけることができるとい
うことを。このことを予感していたのは、ドストエフスキーのようなごく稀な
〈夜の思想家〉だけでした。死の直前にサルトルは言っていたものです−−「ぼ
くらのうちでだれが後世まで残るか、知っているかい、セリーヌだよ」。

●文明の敗北
【問い】ヨーロッパのこの敗北を、あなたは文明の敗北と考えるの
ですね。
【答え】そうです。教育、哲学の文化、文学、音楽、これらのどれも、テロルを
防ぐことはできませんでした。ブッヘンヴァルトの強制収容所は、ゲーテの庭園
からわずか数キロメートルのところにありました。第二次世界大戦のまっさかり
の頃、ミュンヘンで素晴らしいドビュッシーの夕べが催されていました。そのす
ぐ側では、ダッハウに運ばれる列車の中から、人々の叫び声が聞こえていたので
す。そして演奏家のうちのだれ一人として、立ち上がって抗議しようとはしなか
ったのです。

【問い】啓蒙から生まれた文化の麗しき理念は、世界を人間的なものとするとい
う役割を果たせなかっただけではなく、その役割をみずから放棄したのですね。
【答え】まさにそのとおりです。死が近くなって、わたしはこの役割の放棄の悪
夢にさいなまれます。文明によって人間を人間的にするというのが、啓蒙の偉大
な約束でした。宗教の力が衰退すれば、憎悪も姿を消すだろうと、ヴォルテール
は断言しました。しかし信仰が失われることは、哲学者たちが考えていたよりも
はるかに危険なプロセスであることが明らかになりました。地獄はどこか別の場
所にあると信じていたわたしたちが、大地の上に地獄を実現させ、働かせること
を学んだのです。わたしたちが直面しているのは、文明の危機であるだけではな
く、理性の放棄でもあります。啓蒙の約束は果たされませんでした。図書館、美
術館、劇場、大学は、強制収容所の陰でも、しっかりと繁栄できるのです。わた
したちはいまや、文化は人間を人間的なものとしないことを学びました。文化は、
人間の悲惨を感じずに済ますことができるようにするのです。

【問い】そして一生をかけて人間性について学び、教えてこられたあなたが、そ
う断言されるのですね。
【答え】わたしは、人文科学が人間を「人間らしくする」ということは、多いに
疑問だと考えています。「人間性」(ユマニテ)とか、人間としての教養とかい
う言葉はなんと傲慢な響きを隠しているのでしょう。わたしがフランスで高校生
だった頃、教師がアランの文章を読んでくれました−−「すべての真理は身体の
忘却である」。ガキ(笑)にこんなことを教えていたのです。しかしすべての真
理が身体の忘却であるとしたら、それは虐殺ではないでしょうか。アランがプラ
トニスム的な意味を誇張して、こう表現したのは理解できまずか、この教えはわ
たしには身に染みました。そして子供の頃から、抽象という悪癖(笑)に耽るよ
うになったのです。あまり思い出したくないことなのですが、昼間が卯で『リア
王』や『悪の華』を学んで、超越の世界に迷い込むと、帰宅する途中の町の叫び
はもはや耳に入らなくなるのです。高邁な文化が人をつかむ力はとても大きいの
で、人間の真の悲惨、凡庸さ、俗っぽさ、混沌などといったものが、それほどイ
ンパクトを与えなくなります。コーデリアの涙は、街中の涙よりも生き生きとし
て、じかに感じられ、はるかにリアルなのです。美学、美そのもの、シェイクス
ピアの一ページ、カントの、デカルトの、ヘーゲルのベルクソンの一ページによ
って、日常の現実が遠ざかるのです。わたしは実に五二年間も教壇に立ってきま
したが、いまわたしをとらえている問いは、「わたしは自分のしていることをほ
んとに知っているのか。高邁な文化と人間の振る舞いの間に、ほんとうに絆を作
り出すことができるのか」という問いです。わたしは絶えず自分にこの問いを問
い掛けています。

【問い】答えはみつかりましたか。
【答え】生涯の間に、わたしは五人か六人は、わたしよりも才能があり、創造的
だと思える学生にであいました。ある日、ケンブリッジで、最優秀の才媛の学生
がわたしにこう言いました。「わたしは、あなたが教えてくださったことにを誇
りに思っています。しかしあなたが体現しておられるすべてのことには嫌悪感し
か感じません。わたしはもはや文化についてなど、聞きたくもないのです。わた
しは中国で裸足の医師として暮らします」。数年してわたしは北京に招かれ、イ
ギリス大使にこの女性について尋ねました。彼女はほんとうに電気も水道もない
村で、医者をしていたのです。そして彼女こそがわたしの教えの唯一の成果です」

●拒否の叫び
【問い】どうしてそのようなことを考えるようになったのですか。
【答え】転換期の一つはカンボジアの事件でした。テレビではポルポトが十万人
を生き埋めにしたと報じていました。その日、アメリカでも、ロシアでも、イス
ラエルでも、フランスでも、みんなが立ち上がって叫ぶべきだったのです。「こ
れは許せない。アウシュヴィッツから三五年が経ったいま、わたしたちはこのこ
とを知って、鏡で自分の顔を直視することはできない。このカンボジアのやくざ
な法律家や政治家にはもうしわけないが、わたしたちはこれを許すことはできな
い。わたしたちは人間なのだから」。そうすればおそらく人間の歴史は変わった
ことでしょう。ところがそんな叫びはどこからも聞こえてきませんでした。そし
てわがイギリスは、クメール・ルージュにこっそりと武器を売り続けていたので
す。

【問い】長い歴史の間には、ノーと言った人もいましたが。
【答え】野蛮への偉大なノーは、ブレヒトのいう「普通の人」から叫ばれました。
偉大な個人は、淵の深さを計り間違えたのです。真理の眩惑につかまれていた
シモーヌ・ヴェーユのように。どんな偉大な個人も、バルカン半島での子供の殺
戮を止めることはできなかったのです。


●進歩の理念の葬送
【問い】新しい二一世紀には、啓蒙や救済する進歩という概念を埋葬しなければ
ならないのでしょうか。
【答え】それはわたしたちが人間にしてきたことに対する負債というものではな
いですか。なにもなかったかのように、このまま続けることができますか。科学、
技術、医学での進歩はめざましいものがあります。しかし歴史には進歩というも
のはありません。わたしたちはいま、一六世紀末の西洋文明のいかなる時期より
も、大きな脅威に直面しているのです。西洋の伝統の基本的な土台を作り直し、
わたしたちの価値の体系を再構築する必要があります。フロイト、ニーチェ、カ
ントがあらわにした人間の野蛮さと戦うことほど困難なことはありません。ヴァ
レリーは「すべての文明は死すべきもの」と語りました。わたしはすべての倫理
もまた死すべきものだと付け加えたいところです。

【問い】それでは新しい世紀を迎えて、どんな倫理がわたしたちに可能でしょう
か。
【答え】わたしたちの高邁な文化を支えていたのは神学でした。究極のところは、
神の存在の仮説が美的な価値を含むすべての価値を支えていたのです。しかし神
を信じる人が少なくなると、わたしたちが救われるためには、人間の道徳、神な
しの人間の道徳をみいだす必要があります。マルローが『人間の条件』で示した
ように、人間が自分の究極の品位に責任をもてるのは、道徳の名において行動す
るときだけです。

【問い】二〇世紀の恥ずべき歴史があらわにしたのは、神なき新しい道徳の必要
性なのですね。
【答え】マルローは「二一世紀は宗教の世紀になるだろう。それでなければ、人
間に二一世紀というものはないだろう」と言いました。わたしは逆に、「もしも
二一世紀が宗教の世紀であるならば、人間に二一世紀というものはないだろう」
といいたいのです。これからは超越の視点からではなく、人間の条件について考
える必要があります。ハイデガーはいっています。わたしたちはまだ人間の言語
の手前にいるのだと。まだ考えることも、話すことも学んでいないのだと。

●新しい詩学
【問い】この新しい道徳の根拠はどこにあるのでしょうか。
【答え】わたしはプリンストンとケンブリッジの大学で、先進的な科学のプリン
スたちに囲まれて暮らす機会がありました。文学では、わたしたちは朝から晩ま
で法螺を吹いています。しかし科学には、法螺はありません。ごまかしたら、そ
れでおしまいです。真理の道徳は、明日の詩学は、科学のうちにあるのではない
でしょうか。

【問い】科学では、可能なことはすべて実行するのがつねです。ミュンヘンの音
楽家と同じように、科学者も「ノー」と言えないのではないでしょうか。
【答え】おやおや、あなたはわたしよりもペシミストなのですね(笑)。わたし
の知っている科学者たちは、深い懸念と厳密さを兼ね備えています。一九九三年
に数学者のアンドリュー・ウィルズがフェルマーの定理を解いたときに、同僚は
興奮に酔って叫んだものです。「実に美しい。実に美しい解き方を選んだものだ」
と。数学者には、この「美しい」という語には正確な意味があります。わたしは
まだよく理解できていないのですが。

【問い】人間性の問題とはずいぶん離れてしまいました。
【答え】七二歳にもなると、本質的な問題を出したくなるものです。これはユダ
ヤ人の目指すところでもあります。病院の治療がまずかったときには、死体を解
剖しますよね。それと同じようにわたしたちは、「いったいどこで失敗したのか」
と自問するという厳しく、悲しいつとめがあるのです。わたしたちには三つの大
きな課題があります。最初は試験管のうちで生命を作り出すことで、これは法、
政治、哲学を顛倒させるでしょう。次は神経のメカニズムとして意識を分析する
ことです。最後はステファン・キングやその同僚たちが目指している宇宙の理論
を確立することです。これにくらべたら、ゴンクール賞なんて、どんな意味があ
るでしょうか。ポスト構造主義とはなにか、ポストモダンとはなにかという問い
などに。ひどい言い方ですが、フランスではこういいます。「あとは文学の問題
にすぎない」と。