ビブリラア

【書評】[100]生き延びる意志
2003年9月13日



【書評】ヴィクトール・フランクル『夜と霧』池田香代子訳、みすず書房、二〇〇二年

ソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』 、石原吉郎、プリーモ・レヴィなどともに、収容所体験を語った名著の新訳版である。あのような状況のうちで、どうやって生き延びることができるのか、ほとんど想像を絶するが、生き延びる意志をどこまでもてるかが左右する。「ムスリム」になってしまわない意志。書評の続きはこちらに。


【書評】[099]影とアニマ
2003年9月11日



【書評】ユング『原型論』林道義訳、紀伊国屋書店、一九八二年

ユングの著作というよりも、原型に関する四つの論文を集めたもの。時代的にユングが原型についての考え方を確認し、改めていった様子がわかる。訳者は原型論とタイプ論と『ヨブへの答え』がユングの三大傑作と呼んでいるが、原型論は文学や哲学や神話に語られる原型的なものの伝統を解読するうえで、貴重な示唆をあたえてくれるのはたしかだ。書評の続きはこちらに。


【書評】[098]-ポストモダンと政治
2003年9月10日



【書評】スタンレー・ローゼン『政治学としての解釈学』
石崎嘉彦訳、ナカニシヤ出版、一九九八年

評価の難しい本だ。訳者はこの書物を翻訳することを思い立った理由として、「ローゼンが遂行している、解釈学あは言語理論のいずれかに立脚するかもしくはそれらの混淆物に支えられた最近流行のポストモダニズムに対する批判の視点が、現代のわが国における思想状況に対してきわめて重要な視点を提供してくれる」と感じたこと(しかしわかりにくい文章だな)、「わが国の思想史研究において盲点ともなっているコジェーブやシュトラウスの思想を紹介するのに絶好の資料となる」こと、「西洋思想史のほぼ全体を視野にいれ、最も根源的なところから思考する哲学者の思想をわが国の読者にぜひ紹介すべきだと思ったこと」(282)をあげている。書評の続きはこちらに。


【書評】[097]現象学と分析哲学の分岐点
2003年9月8日



【書評】マイケル・ダメット『分析哲学の起源』
野本和幸ほか訳、勁草書房、一九九八年

『真理という謎』などの著作もある分析哲学のダメットが書いた哲学の言語論的な転回についての歴史的な考察の書物。主眼は、フレーゲとフッサールがほぼ同時期に同じような問いに動かされていたのに、なぜ分析哲学と現象学という大きな対立する流れに分岐していったかという問いにある。書評の続きはこちらに。


【書評】[096]まなざしと奥行きについての興味深い考察
2003年9月3日



【書評】船木亨『〈見ること〉の哲学』世界思想社、二〇〇一年一二月

見ることについて、さまざまな視点から哲学的に考察した興味深い一冊。テーマは、鏡像について、左右反転について、身体と鏡について、奥行きについて、遠近法について、風景について、まなざしの間身体性について、反省について、間主観的な空間についてと多様だ。多様すぎたかもしれない(笑)。書評の続きはこちらに。


【書評】[095]平等についてのユニークな視点
2003年9月2日



【書評】アマルティア・セン『不平等の再検討』
池本・野上・佐藤訳、岩波書店、一九九九年

正義と政治哲学の問題は、さまざまな要素の平等と不平等の問題として読めることを説いたセンの政治・道徳哲学の書物。ロールズ以来の沸騰した政治哲学の議論は、たとえばロールズの議論は自由の平等と「基本財」の平等を目指したものであり、ドゥオーキンの議論は資源の平等を目指したものであり、ネーゲルの議論は経済的な平等を目的とし、ブキャナンの議論は、平等な法的・政治的な扱いを目指し、ノージックの議論はリバタリアン的な権利の平等に重点をおいたものと読めるというわけだ(p.18)。たしかに書評の続きはこちらに。


【書評】[094]ウォーラーステインの方法のもつ力と問題点
2003年9月1日



【書評】川北稔編『ウォーラーステイン』講談社、二〇〇一年

ウォーラーステインは最近では教授職は辞めて、研究と執筆にはげんでいるらしい。ブルドュー・センターで毎月発表しているコメンタリーは、時事的でアクチュアルなテーマに力を注いでいて、とても参考になる。日本の過大評価などがときおりみられるが、その鋭い洞察には教えられることが多い。書評の続きはこちらに。


【書評】[093]プラトンとホワイトヘッド
2003年8月30日



【書評】藤沢令夫『自然・文明・学問』紀伊国屋書店、一九八三年

三本の論考、三つの対話、感想文で構成された一冊。「生命・倫理・自由」は、自由の概念の哲学的な考察。ギリシアにおける自由の概念は、三つの意味がある。政治的な自由、魂の自由、必然との対比としての自由である。最初の自由は、ポリスでの政治的な意味での自由で、奴隷に対比される。第二の自由は、たとえば欲望からの自由という意味で、プラトンなどにも頻繁に登場する。第三の自由は、運命の必然のうちで、自由意志とは無意味でないかという自由で、これはエピクロスとともに登場する。わかりやすい整理だ。書評の続きはこちらに。

【書評】[092]自由と哲学の根源的な関係
2003年8月29日



【書評】ジャン・リュック=ナンシー『自由の経験』
澤田直訳、未来社、二〇〇〇年

ナンシーの博士論文だという。ハイデガーの自由悪の理論を基礎にして、自由と哲学の深い関係について自由に考察した書物。考察の自由度が楽しい。ぼくもついやってみようかなどと、誘われる。それぞれの章ごとにテーマが移ったりするので、なかなかわかりにくいので、章ごとにポイントをつまんでみよう。書評の続きはこちらに。

【書評】[091]イメージの政治学
2003年8月28日



【書評】ロイ・ストロング『ルネサンスの祝祭(下)』
星和彦訳、平凡社、一九八七年

この第二部「見世物と政治」では、とくにスチュアート朝における宮廷仮面劇の章に注目。国王の建築監督のイニゴー・ジョーンズと詩人のベン・ジョンソンの協力で生まれたこの仮面劇は、「統治者の原理を理想的に表現する祝祭形式」(p.120)として、とくにスチュアート朝では王権神授説が公式に表明されてから、ねりあげられた。エリザベス朝にはみられなかったイデオロギー的な精神が横溢した劇となるわけだ。書評の続きはこちらに。

【書評】[090]イメージの政治学
2003年8月27日



【書評】ロイ・ストロング『ルネサンスの祝祭(上)』
星和彦訳、平凡社、一九八七年

平凡社のイメージ・リーディング叢書の一冊。一四五〇年から一六五〇年まで、宗教改革から近代の国民国家の形成期において、王権が祝祭を利用しながらいかに自己の正統性を訴えかけていったか。それまでの伝統的な祝祭にどのように手を加えて、政治的な意味をもたせていったかを考察する興味深い一冊。書評の続きはこちらに。

【書評】[089]ルネサンス思想の古典的入門書
2003年8月24日



【書評】P・O・クリステラー『ルネサンスの思想』
渡辺守道訳、東京大学出版会、一九七七年

ルネサンス思想史ではもうクラシックになった一冊。クリステラーはハイデガーのもとでフィチーノについて博士論文を書き、後にイタリアに移住し、ルネサンス思想を本格的に専攻した。クリステラーがこのテーマで行った連続講義だ。すでに常識となった事柄も多いが、アメリカなどでは標準的な教科書のように使われたらしい。書評の続きはこちらに。

【書評】[088]珍しく楽しく読める正義論
2003年8月23日



【書評】井上達夫『共生の作法』創文社、一九八六年

表紙の解説によると、「現代自由学芸の騎士」による挑戦の書物。そうかあ、井上達夫は騎士なのか、と妙に納得したりするが、現代の世界における正義の問題を法と政治哲学の重要な問いとして提示した好著である。とくにリベラリズムの定義を示しながら、会話にその理念型を探った最後の章「会話としての正義」が、著者らしい考察を示していて、楽しめる。書評の続きはこちらに。

【書評】[087]たぎるフィレンツェ
2003年8月18日



【書評】A・シャステル『ルネサンス精神の深層』
桂芳樹訳、筑摩書房、学芸文庫二〇〇二年一二月

もと平凡社で一九八九年にでていたもの。原題はマルシリオ・フィチーノと芸術で、原著は一九五四年刊行。もう古いものだが、フィチーノの人と作品について、いまだ類書の少ない研究書である。序論でフィレンツェのプラトン・アカデミーと、フィチーノをめぐる「人物群像」が紹介されているのもわかりやすい。書評の続きはこちらに。

【書評】[086]メディア論的なプラトン解釈の先駆
2003年8月17日



【書評】エリック・ハヴロック『プラトン序説』村岡晋一訳、新書館、一九九七年

メディア論の視点からプラトンの思想と考察した先駆的な著作。いまでこそ、『プラトンとアルファベット』などの書物はごく普通だし、口承の作品と書かれた作品の違いと口承の文学の影響の考察は流行のテーマであるが、一九六三年に出版された頃には、ごく珍しい考察だった。書評の続きはこちらに。

【書評】[085]着想は面白いのだが……
2003年8月16日



【書評】瀬口昌久『魂と世界』京都大学出版会、二〇〇二年一二月

プラトンの反二元論的世界像というサブタイトルからも明らかなように、プラトンのいわゆる身体と精神の二元論という解釈が誤解であり、プラトンは魂(プシュケー)の概念で一元論的な世界観を提示していると主張する書物である。書評の続きはこちらに。

【書評】[084]トックヴィルの炯眼
2003年8月11日



【書評】河合秀和『トックヴィルを読む』岩波書店、二〇〇一年

トックヴィルが直面していた問題を、当時のイギリス、フランス、アメリカの政治状況とあわせてわかりやすく解説している。伝記的な記述もあって読みやすい一冊だ。民主政治についてのトックヴィルのかかえた問題が、いまの民主主義からみるとすこしずれてみえるが、イギリスの貴族制的な伝統との対比だと、そうなるのだろう。書評の続きはこちらに。

【書評】[083]説得力のあるルソー論なのだが
2003年8月7日



【書評】水林章『公衆の誕生、文学の出現』みすず書房、二〇〇三年四月

一八世紀のフランス文学を専攻する著者の二冊目のルソー論であるが、今回は公衆という視点からルソーの文学を考察する。パブリック、レパブリック、ピーピルといった言葉の語源と登場の歴史を詳しく検討しながら(もちろんフランス語だが)、「文芸の王国」という知識人の集団の公共性が崩れて、人民ピープルという概念に移行し、いまやパブリシテという欲望の主体、広告のターゲットとしての消費社会の主体にまでなりさがっていくプロセスを説明するプロローグと最初の章「公衆の誕生」はスリリングで読ませる。書評の続きはこちらに。

【書評】[082]東洋と西洋の身体と自然
2003年8月2日



【書評】湯浅泰雄『身体の宇宙性』岩波書店、一九九四年

ユング研究書を多数著している著者による身体論。身体だけではなく、自然についての東洋と西洋のうけとめ方の違いについて、詳しい考察がある。身体と世界の関係については、文化ごとに異なるところがあり、市川浩も東南アジアの例をとりながら、世界を生きる身体の文化的な差異を示していた。書評の続きはこちらに。

【書評】[081]ヘルメス学の手法
2003年7月29日



【書評】リモジョン・ド・サン・ディディエ『沈黙の書 ヘルメス学の勝利』
有田忠郎訳、白水社、一九九三年

白水社のヘルメス叢書の一冊。『沈黙の書』は一六七七年に、ラ・ロシェルで刊行されたらしい。錬金術のさまざまな手法とテーマを一五枚の不思議な図版で示し、その解読をしたもの。解読といっても、一部の謎を解き、さらに多数の謎をかけるという代物だから、謎は深まるばかりである。錬金術のこのあざとい手法は、秘教的な雰囲気を作り出すには、実に巧みだ。ユングがとても気に入って、錬金術の本で引用していることからも有名になった。書評の続きはこちらに。

【書評】[080]魔術の逸話集
2003年7月28日



【書評】アルフレッド・モーリー『魔術・占星術』
有田忠郎・浜文敏訳、白水社、一九九三年

白水社のヘルメス叢書の一冊。原著の刊行は一八六〇年だ。著者は名前から想像されるようなイギリス人ではなく、フランス人らしい。司書から出発して、一八六二年からは長い間、コレージュ・ド・フランスで歴史と倫理学を教えた人物だ。『古代ギリシア宗教史』『睡眠と夢』『中世の進行と伝承』などの多数の著作がある。書評の続きはこちらに。

【書評】[079]オランダの両面性
2003年7月21日



【書評】モーリス・ブロール『オランダ史』
西村六郎訳、白水社、クセジュ文庫

コンパクトなオランダ史。考えてみると、オランダとベルギーはニーダーランドと呼ばれた国が南北に分裂してできた分断国家なのだ。ベルギーからオランダに汽車で入ると、風景が変わったことに気付く。同じ森と野原なのだが、とても豊かにみえるのだ。ブリュッセルを出ると、ベルギーの農村にはどこか荒廃した印象がつきまとっていた。歴史的にも豊かな北と貧しい南の伝統はあるらしい。書評の続きはこちらに。

【書評】[078]プラトンの入門書の難しさを実感
2003年7月19日



【書評】納富信留『プラトン』NHK出版、二〇〇二年一一月

 NHKが始めた「哲学のエッセンス」のシリーズの一冊。読んでみて、つくづく一〇〇ページでプラトンを語ることの難しさを実感した。この枚数だとほとんどワン・テーマしか語れない。一つのテーマに絞って、プラトンの森への入り口をつけるだけで満足すべきなのだろう。その入り口のつけ方が、あまりうまくいっていないという感じをうけた。書評の続きはこちらに。

【書評】[077]場所の経験
2003年7月18日



【書評】イーフー・トゥアン『空間の経験』
山本浩訳、筑摩書房、一九八八年

イーフー・トゥアンの代表作の一つで、原題のSpace and Placeの方がわかりよいかもしれない。空間(space)と場所や場(place)の対比が、この著作の大きな筋糸になっているからだ。それにどちからというと、場所の経験ではないかな(笑)書評の続きはこちらに。

【書評】[076]ファンタジー小説の類型学
2003年7月17日



【書評】私市保彦『幻想物語の文法』晶文社、一九八七年

『ネモ船長と青ひげ』など、児童文学と幻想文学を得意とする著者が、雑誌『ユリイカ』に連載した幻想物語論。連載したものはどうしても匂いが残る。毎回読み切りにしなければならないという制約が感じられるのだ。今回は『ゲド戦記』の部分を書き加えているが、やはり連載という狭さが残った。書評の続きはこちらに。

【書評】[075]ユング理論の辛口の入門書
2003年7月15日



【書評】A・ストー『ユング』河合隼雄訳、岩波書店

フロイト派でもユング派でもない「中立の」臨床医が書いたユング入門書。手際よい要約だと思うが、ユング派ならしないようなユングの理論の批判がユニーク。批判をつなぐだけで、ユングの理論の全体がみえてくる。書評の続きはこちらに。

【書評】[074]アニマとアニムス
2003年7月10日



【書評】エンマ・ユング『内なる異性』笠原/吉本訳、海鳴社、一九七六年

ユング夫人が若い頃に書いた「アニムスについて」と、亡くなる七三歳のときに書いた「自然存在としてのアニマ」の二本で構成されるアニマ・アニムス論。若い頃に書いた文章では、女性の劣性が正面に出ていて、奇妙な具合である。書評の続きはこちらに。

【書評】[073]手ごろな入門書だが……
2003年7月9日



【書評】バトラー/マクマナス『心理学』
山中康裕訳、岩波書店、二〇〇三年六月

岩波で刊行され始めたオクスフォード大学出版の「一冊でわかる」シリーズのうちの「心理学」。心理学の研究方法、知覚、学習と記憶、思考、動機づけ、発達心理学、個人差、異常心理学、社会心理学と、心理学の主要な分野をわかりやすく説明する。書評の続きはこちらに。

【書評】[072]薔薇十字の水脈
2003年7月5日



【書評】クリストファー・マッキントッシュ『薔薇十字団』
吉村正和訳、平凡社、一九九〇年

イエイツの薔薇十字研究から、薔薇十字団という大きな水脈が(産業が(笑))開拓された。この一冊もその水脈のうちで生まれたものらしい。考えてみると、一つの水脈を発掘するというのは、難事だ。そのための着想と、努力が必要であるだけでなく、自分のやっていることが意味のないものではないかという疑念とたえず戦う必要がある。書評の続きはこちらに。

【書評】[071]日本思想史をどう読む
2003年7月2日



【書評】『丸山眞男講義録 第四冊 日本政治思想史一九六四』(岩波書店、一九九八年)

丸山が古代から中世までの日本政治思想史の通史を語った一冊である。最初の導入の部分では東洋の概念と思想の概念を考察し、さらに思考様式の原型を最初の章で展開する。ほぼウェーバーによる部分は少し退屈かな。書評の続きはこちらに。

【書評】[070]浮遊する現在
2003年6月30日



【書評】ポール・ヴィリリオ『瞬間の君臨』
(土屋健訳、新評論、二〇〇三年六月)

ヴィリリオのL'inertie Polaire, Christian Bougois Editeur, 1990の翻訳がこのほど刊行された。原著の出版時期は少し古いが、訳者の指摘するように、いろいろなところで展開されているヴィリリオの理論的な枠組みがよくみえる一冊というべきだろう。書評の続きはこちらに。

【書評】[069]歴史の『ハンドブック』
2003年6月29日



【書評】野村雅一『身ぶりとしぐさの人類学』中央公論新社、一九九六年
人々の身振りは、それぞれの社会で無言のコミュニケーションを形成するものとして、重要な役割を果たしているが、その社会のハビトゥスを写しだす無言劇のように、観察することもできる。『しぐさの世界』などの著書のある野村は、歩き方、行列の仕方、挨拶の仕方など、さまざまなしぐさのうちに、文化の違いを浮き彫りにしてみせる。書評の続きはこちらに。

【書評】[068]ライプニッツの思想の広袤
2003年6月28日



【書評】井上龍介『ライプニッツ〈試論〉』晃洋書房、一九九九年
「千年に一人の天才」(坂部恵、(笑))と評されるライプニッツだが、近代の哲学の基礎がカントで据えられた後、近代哲学のさまざまな問題が露呈するこの現代にあって、カントとは違う道筋で、人間や宇宙を考える必要がでてくると、ライプニッツの名前が地平線上に漂うことになる。もちろんスピノザという名前もあるのだが、ライプニッツの方が大きな謎を秘めているように「みえる」のだ。書評の続きはこちらに。

【書評】[067]発掘の貴重な試み
2003年6月27日



【書評】中沢新一『フィロソフィア・ヤポニカ』集英社、二〇〇一年
中沢新一の前書きによると、中沢が田辺元の思想に取り組んで二年間、やっと田辺の思想の新しさを提示することができたという。たしかに中沢が指摘するように、西田と比較すると、田辺の思想は忘れ去られていると言えるかもしれない。最近いくつかの論考で取り上げられているので、今ではそれほど「忘却の淵」に沈んではいないかもしれないが、どうにもとっつきのにくさが感じられるのはたしかだろう。ぼくも全集を端本でしかもっていないし、倉庫においてあって、手元にはない。西田と和辻の全集は手元においているのだが。それでも「種の論理」のユニークは、もっと注目されてよいものだと思う。書評の続きはこちらに。

【書評】[066]『エティカ』のコンメンタール
2003年6月26日



【書評】飯島昇蔵『スピノザの政治哲学』早稲田大学出版部、一九九七年
スピノザの政治哲学というと、『政治・神学論集』や『国家論』を中心に考察されることが多い。もちろんスピノザの政治哲学はこれらの書物に明確な形で表明されている。しかし著者は、『エティカ』にこそ、スピノザの政治哲学の根幹があると考える。そしてこれはある意味では正しい。この書物において、人間が自由であるというのはどういう意味か、人間はなぜ国家を必要とするか、人間はなぜ隷従した存在なのかが語られるからである。書評の続きはこちらに。

【書評】[065]ないものねだり(笑)
2003年6月25日



【書評】坂部恵『ヨーロッパ精神史入門』岩波書店、一九九七年
坂部恵の東大最終講義。二五回の講義で、カロリング・ルネサンスにおいてヨーロッパというものが姿を現し始めた時期から、デリダの自民族中心主義批判までを考察する。講義の最初に、ジェイムズ、パース、ヒューム、レヴィ=ストロースなど、かなりヴァラエティに富むテクストの断章をひいて、その背後にあるものを明かにしていく。学生たちにもたのしめた講義だったろうと思う。書評の続きはこちらに。

【書評】[064]精神医学の権力の異様さ
2002年11月29日



【書評】ミシェル・フーコー『異常者たち』
慎改康之訳、筑摩書房、二〇〇二年一〇月
フーコーがコレージュ・ド・フランスで行った講義のうち、一九七四〜一九七五年度の講義の記録だ。テープから起こしたものと、フーコーの講義原稿を照らし合わせて作られている。すでに翌年の『”社会を守れ!”』がでているが、この年の講義が先に刊行されることになった。あと『主体の解釈学』がすでにフランスで刊行されていて、これも続いて翻訳が発表されている。…書評の続きはこちらに。

【書評】[063]初期のアレント像
2002年11月28日(土曜)



【書評】『アーレント政治思想集成、一』斎藤・山田・矢野訳、みすず書房、二〇〇二年一〇月
長らく翻訳が待たれていたアレントの論文集Eassay in understandingの前半の訳書だ。一九六四年のガウスとのインタビュー「何か残った? 母語が残った」を最初において序文のようにして、一九三〇年の「アウグスティヌスとプロテスタンティズム」から、一九四四年の書評「国民」までを収録している。いわば初期のアレント像が描き出されるわけだ。…書評の続きはこちらに。

【書評】[062]戦争とメディアという問題系
2002年11月27日(金曜)



【書評】ポール・ヴィリリオ『戦争と映画』石井・千葉訳、平凡
911テロ以来、ヴィリリオの先見性とアクチュアリティは疑問の余地がなくなっている。この書物ではとくに、映画という視点から戦争について考察する。ぼくたちの馴染みの映画も取り上げられていて、いろいろと考えさせる。空からの光景と地上からの光景の弁証法的な展開を示す『地獄の黙示録』…書評の続きはこちらに。

【書評】[061]空っぽの人間容器
2002年11月26日(木曜)



【書評】ビディング/ホッヘ『「生きるに値しない命」とはだれのことか』
森下直貴・佐野誠訳、窓社、二〇〇一年一一月
一九二〇年の第一次世界大戦敗戦後のドイツで、法律家と医者が共同研究を行って安楽死の法的な解禁を求めた書物。とくに医者のホッヘは、治療不能な精神病患者は「どんな場合であれ、死が優先されるべき」(70)と主張する。そして重度の知的障害者をとくに生きるに値しない「物」Dingと決めつけ、「誰にとっても最も重荷となる連中(Existenz)」として切り捨てようとする(77)。…書評の続きはこちらに。

【書評】[060]ドイツ思想界の紹介
2002年11月25日(水曜)



【書評】矢代梓『啓蒙のイロニー』未来社、一九九七年
身体論によってコンピュータやインターネットを批判するドレイファスのインターネット批判。まあ相変わらずの手口(笑)。あまり進歩はない。この書物の要旨がまとめられているので、簡単にみておこう。「第一章 ハイパーリンクの限界。知的な情報検索に対する期待とAIの失敗。われわれの身体と形と運動は、世界の理解にとって決定的な役割を担っている。それゆえに身体性の欠如は、関連性を認識する能力を喪失させることになる」(9)。…書評の続きはこちらに。

【書評】[059]意外な一冊
2002年11月23日(月曜)



【書評】山内志朗『天使の記号学』岩波書店、二〇〇一年二月
スコラ哲学を専門とする著者が、現代の風俗にまで説き及ぶ意外な一冊。『普遍論争』はとても参考になるいい本だったので、期待したのだが、結果はまちまちというところだろうか。 著者の提示するコミュニカビリティの概念は、「コミュニケーションを可能にする条件」(81)のようなものとして考えられているが、。…書評の続きはこちらに。

【書評】[058]旧約の予言者の書の背景
2002年11月21日(土曜)



【書評】マックス・ウェーバー『古代ユダヤ教』
内田芳明訳、みすず書房、一九八五年
合冊になったウェーバーの名著。一九八七年以降に購入している。まだ一五年かぁ。でももう二十年くらい持っているような感じがする。何度も読みかけては最後までたどりつけなかった本だ。途中まではおもしろいのだが、あまりに長くで、読み通せなかった。今回で四度目のトライだろうか。そして途中まで読んで読みさして、最初から読み直してやって読了。ふぅ。こういう本はあまりないが(まだシュレーバー読んでない(笑))、一度完遂すると、梨の実のように持ち重りのする読後感が生まれるものだ…書評の続きはこちらに。

【書評】[057]「清潔な戦争」
2002年11月19日(木曜)



【書評】ポール・ヴィリリオ『幻滅への戦略』川村一郎訳
青土社、二〇ヴィリリオがコソボ戦争の直後に刊行した戦争論で、アクチュアルさは、いまもなお変わらない。911テロの後に書かれた文章ではないかと錯覚してしまうくらいなのだ。戦争がいまや旧来の戦争とはまったく違った種類のものとなっていることについて、具体的に、そしてヴィヴィッドに描かれている。
書評の続きはこちらに。

【書評】[056]学識と博識
2002年11月17日(火曜)



【書評】合田正人『レヴィナスを読む』日本放送出版会、一九九九年八月
最近でた本のような印象だが、調べてみると、もう三年も前のことになる。出版当時に読んでいるのだとは思うが、さきほど思い立って再読した。レヴィナス研究の第一人者の合田さんの本だが、筑摩学芸文庫版に『レヴィナスの思想』の半ば改訂版を収録してから、レヴィナスそのものについての考察とは、かなり離れているらしい。それでも合田さんの学識と博識が唸り(笑)をあげるような著書である。…書評の続きはこちらに。

【書評】[055]合理性と非合理性
2002年11月15日(日曜)



【書評】『ヘブライズムとヘレニズム』新地書房、一九八五年
これもかなり前の本。合同セミナーの記録でもある。五人の講師が発表と質疑応答をしたものを集めている。全体の共通テーマは合理性と非合理性をめぐってというものだ。並木浩一「イスラエルにおける神・人間・社会」は、イスラエルの社会史に詳しい並木氏がヘブライズムの合理性と非合理性について考察する。…書評の続きはこちらに。

【書評】[054]避けられない死の予感
2002年11月13日(水曜)



【書評【書評】アントニオ・ネグリ『転覆の政治学』小倉利丸訳
現代企画室、二〇〇〇年一月
二一世紀へ向けての宣言というサブタイトルがあるが、この書物は1989年に出版されたもので、社会主義体制の存在していた時代の雰囲気がまだ残っている。マルクス主義、プロレタリア、階級闘争などの概念が自明のものとして語られているために、なかなか読みづらい。大衆(ムルチチュード)という概念に依拠している『帝国』などと比較して、少し遠い感じがするのもそのためだろう。…書評の続きはこちらに。

【書評】[053]小見出しの利点
2002年11月11日(月曜)



【書評フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌』第二巻
秦剛平訳、ちくま学芸文庫、一九九九
ヨセフスのユダヤ古代誌の二巻目は、カナンに侵入して征服してから、ダビデが死んでソロモンが王座につくまで。イスラエルの歴史がサクサクと語られる。旧約聖書とほとんど変わらないところもあるが、そのままではわかりにくいところを補足説明することで、はるかに読みやすくなっている。…書評の続きはこちらに。

【書評】[052]議会の無力は
2002年11月9日(土曜)



【書評カール・シュミット『現代議会主義の精神史的地位』因幡素之役、みすず書房、一九七二年
一九二三年にシュミットが代表制民主主義がいかに無効になっているかをありありと解説した書物。ワイマール共和国はもう一〇年しかもたないだろう。ただしドイツだけの問題でもなく、いまの日本でも同じような症状が腐臭を発していても、もはや「危機」と叫ぶのも空しくなっている。…書評の続きはこちらに。

【書評】[051]他者という難問に立ち向かう
2002年11月7日(木曜)



【書評】大庭健『他者とは誰のことか』勁草書房、一九八九年
ずいぶん前に読んだ本だが、思い立つことがあって再読した。『権力とはどんな力か』とペアで、「自己組織システムの倫理学」を構成するものである。前書きでは、「高校生や「高卒」で働いている人々に受け止めてもらえるような、人間を描こうと試みた」(v)と書かれているが、タイトルの「他者とは誰のことか」という問いに、あまりうまく答えられているとは思えない。もちろんこの課題は難物だし、挑戦にあたいするものである。…書評の続きはこちらに。