国家はどうやって発生するか

中沢新一『熊から王へ』講談社、二〇〇二年六月



カイエ・ソバージュの二冊目。今回は東北での講義も入り、モンゴロから日本の東北地方を経由して、南米にまで広がる「東北」の概念が登場する。基本的に「国家に抗する社会」のイメージを提示して、現代文明を批判するという筋書きだ。国家の発生が人間の脳のどのような進化のプロセスと重なっているかなど、刺激的な議論が楽しく読める。

中沢は認知考古学に依拠して、ネアンデルタール人と異なるホモ・サピエンスの誕生を、脳における流動的知性の発生と、象徴的な思考に跡づける。比喩を使う象徴的な思考ができるようになったことで、人間的な思考が生まれると考えるわけだ。



「流動的知性の活動が心の中に動き始めるやいなや、人間の心の中には、他者に対する共感にみちた理解という、私たちにとってなによりも貴重な「人間的な心」が発生するのです。それは象徴能力や詩的なことばの用法と、まったく同時に生まれてきます」(76)というわけである。

そしてこの神話的な思考では対称性のもとで二元的に思考する。ところがある時点で、生物的な進化とは別の次元て、「力の配置」が変化して、「世界に対称性をつくりだそうとしてきた「心」の働きが、急転回を起こして、それまでの首長のかわりに王が出現」するという(4)。

中沢は神話的な思考の世界は「詩」の構造をしていて、言語の本性は「詩」であると考える。「交換の行為は、生まれたばかりのときは贈与でした。それならば世界のはじまりにあるのは、きっと純粋な愛にちがいありません」(93)と歌い上げる。しかしこの純粋な愛というものを世界の原初に求めるというどこかルソー的な概念構成は、たしかめようがない。中沢の希望的な観察にすぎないのが、残念である。

中沢は古事記の神話やアイヌの物語などを紡ぎながら、古代における国家の形成と金属の力の関係、呪術のシャーマンのもつ危険性と王の権力の関係などを説明していく。ある部分はうまくできているし、少し説得力のないところもある。首長と「人喰い」の区別の意味を説明しながら、突然ハイデガーの学長就任演説にとんだりすると、あちゃ(笑)という感じなってしまうところもある。

ぼくも長らくクラストルの『国家に抗する社会』を愛読してきたから、中沢の試みはよく理解できるし、読んでいても楽しい。それでも『緑の資本論』と同じような感想は避けられない。たしかに中南米など、多くの地域で国家を形成させない智恵がはぐくまれてきた。そしてそれがぼくたちにとって重要なきっかけになることはたしかだ。また中沢がアメリカの同時多発テロとその後のブッシュの戦争を例にとりながら、野蛮が生まれたのは文明によってであるというのも、ただしい。

しかしぼくたちが生きているのは、小さいとはいえ、もう千数百年も前に国家を形成した島国である。アイヌの智恵はこの国家のうちで、そしてグローバ化した現代の世界のうちで、そのままに生かすにはあまりにか細いものになっている。ドゥルーズがクラストルを認めながらも批判したように、国家が形成されていることを踏まえた上で、国家のない社会は可能なのか、それとも国家という形式をいかしたままで状況を改善すべきなのかと問うべきなのだ。

国家以前の思想を武器にできると考えるのは、あまりにナイーブなのではないか。これまで日本の歴史のうちで、仏教がはたしてきた役割、国家に抗する思想と国家の権力を強化する思想の両方の系譜を考えずに、仏教のうちに「国家をもたない対称性社会の重要な構成原理のいくつかが、文明的に洗練されたかたちでカモフラージュされて、堂々と復活はたしている様子」を楽しむのは、どこかひとりよがりの楽しみに陥ることはないのだろうか。国家のうちで鍛えられてきた思想を、もっとおそれるべきではないか。中沢の試みに誘惑されるだけに、自戒をこめて。
2003年11月5日
(c)中山 元

データ
タイトル 熊から王へ
責任表示 中沢新一著
出版地 東京
出版者 講談社
出版年 2002.6
形態 248p ; 19cm
シリーズ名 講談社選書メチエ ; 239 . カイエ・ソバージュ ; 2
ISBN 4-06-258239-2
入手条件・定価 1600円
全国書誌番号 20292978
個人著者標目 中沢, 新一 (1950-) ‖ナカザワ,シンイチ
普通件名 神話 ‖シンワ
普通件名 国家 ‖コッカ
NDLC G189
NDC(9) 164
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000003644899

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